『ヴァンサンへの手紙』一般試写会

 9/26、神楽坂にある日仏語学院「アンスティチュ・フランセ東京」内で、映画『ヴァンサンへの手紙』の一般試写会が行われました。私が試写会に参加するのはこれが人生で2度目で、1度目も今月行われた試写会で、アップリンクが配給―本映画に関しては共同配給―しているもので、やはりフランス映画でした。

 

 『ヴァンサンへの手紙』は監督・レティシアが、10年前に自殺した聾者の友人に語り掛けるように展開される映画です。その中で、フランスにおいて聾者がどのように生きているか、どう考えているのか、聾教育はどのように行われてきたのか/行われているのか、手話とは何か…そういった情報が展開されていきます。共生社会とはなにか、鑑賞者に問いかけ続けます。

本試写会では、映画の上映後30分ほど、映画の買い付けを行った牧原依里さんの解説がなされました。これがとてもよかった。短いながらも、馴染みのない文化や言葉を補足してもらうことができました。牧原依里さんは聾者で、手話で解説をしてくださいました。通訳の方の音声翻訳によって、牧原さんの言葉を理解することができました。

試写会に参加して、新鮮な感想をまずは書きたいと思ったので、理解の足りていない点が十二分にあるかとは思います。ご承知おきください。

 

 前提として、私は“聴者”です。耳が聞こえます。突発性難聴すらなったことはありませんから、“聞こえない”状態についてよくわかりません。聾者の友人や知人はいません。また、医学的にもなんの「障害」も持っていません。社会的にも障碍者ではありません。

レティシア監督も同様に“聴者”の映像作家です。彼女は幼馴染に聾者がいました。彼女との交流がきっかけだったのか、聾者や手話というものに興味を持つようになります。そして、「聾者の友人募集」という張り紙をして出会ったのが亡き友人ヴァンサンでした。彼を通してたくさんの聾者と知り合うようになります。そして手話を知ります。

 

 まず特筆すべきなのは、手話の美しさです。手話表現の豊かさを伝えようという監督の想いが伝わってきます。

手話を見たのは初めてではなかったはずでした。過去、生活の中で目にしたことはあったはずなのです。例えば小学校の頃、手話を使う人が学校に来て、手話についてレクチャーしてくれた授業があったことを、朧げにではありますが覚えています。駅で手話を話す人を見かけたこともありました。アルバイト先の喫茶店に、定期的に来る聾者のグループがいました。私はすっかり忘れていました。

しきりに手話で会話する人々の豊かな表情、そして手の動きの美しさ。手話演劇という静寂の中の激しい表現方法、手話詩という踊るような表現。これは実際に映画を観てもらわないと、お伝え出来ないと思います。

 

 聾者に対する誤った大きな考えが2つ、私の中にありました。

 一つ目に、聾者は皆手話を習ってきたのだという偏見です。驚くべきことに、手話は130年もの間抑圧されたものでした。牧原さんの解説によると、1880年にミラノで行われた「国際聾教育会議」において、手話に比べると口話教育のほうがより“効果がある”という宣言がなされたそうです。その結果、聾者に対しては口話教育をするものとされてきました。劇中でも、何人かの聾者が語ります。聞こえなくても―あるいは聞こえづらくても、相手の喋る内容を読み取り、自分も発話することが良いこととされてきたのだと。手話は蔑まれる存在であったのだそうです。

聞こえないのにどうやって?私には理解できませんでした。どうして聞こえないのに声を出せるのでしょう?レティシア監督の幼馴染の聾者の―すみません、名前を失念してしまいました―女性の友人も、口話教育で育ちました。フランス語で話すので、どれくらい流暢なのか私には判断できませんでしたが、ときおり聞き返しながら、自然に音を発していました。これは聴覚の程度にもよるかもしれません。でも、口話教育は苦しいものだったと語ります。そういう授業に時間を費やす間、聴者は普通過程を学びます。その時間的な差異は大きかったでしょう。

 

 もう一つの大きな誤解は、手話は“言葉を手で表すもの”、と考えていました。どうもこれが大きな誤りで、手話という一つの言語と捉えるべきもののようです。決して手話だから共通語だというわけでなく、フランス手話だとかイタリア手話だとか、それぞれ差異はあるようです。それでも、手話は決してただフランス語をそのまま表すわけではないんです。指文字というのがあって、これは前述の小学校の授業で教えてもらったのですが、例えばひらがなに相当するサインが存在します。しかし、それで全ての会話ができるわけではありません。

これは、劇中のフランスのバイリンガル教育―手話を第一言語とする教育―を行う学校の授業風景を見ると簡単に理解できます。ただ「転ぶ」と表すにも、たくさんの状況があります。道端で転ぶ、階段を転げ落ちる、そういったことを手の動きで表現します。「転ぶ」という基本の表現があり、そこに感情や状況を伴った表現が加わります。言葉を翻訳するのとは違うんだ、ということがわかりました。

 

 とても静かな映画です。スクリーンの隅々まで目を凝らして鑑賞しました。

それでも、レティシア監督の静かな語りや、フランス人シンガー・カミーユ氏の美しい歌声など、「音」が心地よい映画でもあったのです。そこには、聾者の出す静かな音もありました。手話の豊かな表現のために生まれる、大きな呼吸音、破裂音、手や身体を叩く音、それとは別に生まれる自然な笑い声。

劇場公開は来月からです。まずはアップリンク渋谷からで、全国でも公開されるそうなので、興味を持ったらぜひ劇場に足を運んでほしいと思います。

 

 この映画を知ったのは、アップリンク渋谷で映画を観た際の予告編でした。そのときに―また名前がわからない!―手話詩、手話劇の演者の男性の姿を見てとても美しいと感じたのでした。それで、これを観たいと思ったのです。

 この映画を買付けた牧原さんは前述のとおり聾者で、「東京ろう映画祭(今後は東京国際ろう映画祭と名前を改めるそう)」の開催なども行っています。その映画祭で上映権を借りて、本映画を上映し、とても好評だったそうです。それでも、通常の劇場公開には壁があったそうです。

個人で映画の上映権を買付けるには莫大な資金がかかります。さらに、聾者をテーマに据えた映画で収益化は難しいというのが大きな理由だった…のでしょう。それでも、アップリンク(映画の配給や上映を行う会社です。アップリンク渋谷という劇場を持ち、今後吉祥寺でも劇場を展開します)が共同で配給しようということになり、今回の劇場公開が叶ったそうです。クラウドファンディングも行っていました。それでも、目標額よりも牧原さんの自己資金のほうが多いので驚きました。

今、聾文化についての興味と同時に、牧原さんとは何者なのか…という好奇心が湧きつつあります。理由も告げず自殺してしまったヴァンサンに、自分の人生が重なったという牧原さん。映画祭で本映画を観た聾者の方からも、「自分の思いを表している」という声が多く聞かれたそうです。

 

 

 少し蛇足になるのかもしれませんが、この映画を観て個人的に考えてしまったのが、「障碍者とはなんなのか」ということです。私は記事の上のほうで敢えて自分は障碍者ではないと書きました。

劇中で活動家の方が、「私は障碍者じゃない」「一人の人間として自立したい」と主張します。私は驚いてしまいました。とても失礼なことなのかもしれません。それもわからないほど、聴者と聾者の間には隔絶があるのか、というよりは少なくとも私が無関心だったのでしょう。自立したいという考えはきっとあるだろうというのは想像できますが、あくまで私の中でそれは“自立した障碍者でありたい”だろう、という考えがあったのです。

これは一部の考え方であって、全聾者の声を代表するものとは違うのかもしれません。また、障碍者という言葉自体についても、どの観点で考えるかでその意味合いは異なってくるのかもしれません。

 私は、自分が発達障害かもしれないと疑ったとき、そうであれば自分の気持ちは救われるのに、と思ったのです。障碍者だから仕方ないという傲慢な主張だったかもわかりません。ただ、それなりの投薬治療や認知療法があって、こうすればもう少し楽に生きられるのではないかという指標が得られると思って、救われるんじゃないかという希望を抱いたのです。実際はそうじゃなかった。精神障害と身体障害ではまたいろいろ異なるのかもしれませんが…

耳が聞こえないのに、障碍者じゃないんだって主張するのは「すごく大変な道なんじゃないか」と思ってしまったんです。耳が聞こえないことって想像がつかないんです。考えたくもないです。怖いと思うんです。耳が聞こえないだけだって言う彼女らを見て、そうなんだーと簡単に納得できませんでした。

でも、牧原さんが…この映画を買付けた牧原さんのことを調べていると、そういう主張もなんとなく腑に落ちるような気がしました。