鉄の女が死んだ日

学生の頃新聞社でアルバイトをしていました。という話をすると新聞奨学生のイメージの強さからか「新聞配達をしていたの?!」と驚かれることがありますがとんでもない、朝早く起きて新聞配達なんて本当に大変な仕事で、わたしに務まるわけがありません。

 

わたしがアルバイトをしていたのは本社の編集局で、某部のデスク補助を行なっていました。就活の時はそんな感じで説明して、友人に話すときは「おじさんの使い走り」と簡単に言っていました。

印刷された紙をはいよーと渡したり、これあそこに渡してきてーって言われた紙をはいよーと渡したり、スクラップを作ったり、鉛筆をひたすら削ったり、暇だと本を読んだりする、ゆるいお仕事でした。

朝刊編集作業のお手伝いをしていたので、夕方から深夜までの勤務でした。降版…要するに印刷所に紙面を送る最後の締め切り、それが1:45でした。そのあと乗合タクシーで帰宅していたのでした。

 

さて、安易にデスクという言葉を使いましたが、言葉の説明をしないといけませんね。

ひらたくいえば、編集責任者といいますか、記者から上がってきた原稿にGOを出したりする内勤の役職者のことです。現場から離れ、本社の机にかじりつくことが増えるのでデスクと呼ばれるようになったとか。実際、デスクたちは締め切り前になると席を立つのもままならないくらいでした。

 

さすがに辞めてもう3年…?は経つので多くのことを忘れてしまいました。

思い出せるのは、ゲラ(校正用の原稿)をエアシューターでぶっ飛ばしていたこと、オバマ元首相の写真入り原稿をFAXしたら「真っ黒に潰れていて何も見えない」と怒られたこと、コピー機が不調になると全員が見て見ぬ振りをするので手を真っ黒にして直したこと、デスクからpdfを印刷した原稿を渡され「スキャンしてpdfファイルにしたい」と言われたこと…

エアシューターを操っていたのは別部署のアルバイトの方達だったので、わたしもやらせてもらえばよかったなあと思います。エアシューターわかりますか?カプセルに紙類を入れて管の中を空気で輸送する機械です。昔、病院でカルテを送ったりラブホテルの支払いに使われていたりしたんですが、平成生まれのわたしにとっては回転ベッドがごとく御伽噺の世界だったので、現役で使われていたことに衝撃を受けました。社屋が古くてそのまま使ってるわけじゃなかったんです。新社屋に立て替えた上で、エアシューターを使っていたんです。

 

さて、表題の件です。

ピーコってご存知ですか?おすぎの兄貴じゃないですよ。

編集局はとても賑やかで、スピーカーから常に通信社からのニュース速報がアナウンスされています。通信社、たとえば共同通信とか時事通信とか、海外ニュースならロイターですね。あれ、通信社ってなんだろ。

アナウンス前に鳴る特徴的なSEがあり、その音自体と、音に伴う速報をひっくるめたものが「ピーコ」と呼ばれていました。共同通信社のものみたいですね。

ピーコが鳴り、共同通信からお知らせです…とアナウンスが続くわけです。デスクたちは新報がないか耳をそばだてます。もちろん他の手段でもニュースは流れてきます。自動的に印刷もされます。それでも、やはり音を聞くのが一番早かったのでしょう。

一度だけ、違う音が流れたことがありました。普段のピーコに続き、リンゴン、と鐘の音が流れました。

それは、イギリスの元首相、マーガレット・サッチャーの訃報を報せるものでした。重要度の高いニュースには別のSEが使われるのです。3年弱勤めて、まあもちろん毎日いたわけではないですが、それでもあのSEを聞いたのは一度きりでした。

 

サッチャー氏は、生前に伝記映画が作られるほどの人でした。鉄の女と呼ばれたあの人が亡くなった日、初めて鐘のピーコを聞いたのでした。

 

新聞社でのアルバイトは特別楽しかったわけではないけれど、なんやかんや一番長く続いて、なんやかんや今でもお世話になった方には頭の上がらない思いです。

校閲部や整理部(デザイン担当)のお仕事を間近でぼーっと眺めていたことが、最近ほんの少しだけ役に立ったというできごとがあり、人生何があるかわからないなーと思ったりします。